アルルは古代遺跡<ゴッホ

2025年8月9日土曜日

南フランス

 6月29日午前中はアルルの観光です。
アルルは古代ローマ時代に繁栄した大都市でした。

アルルに向かう途中にひまわり畑がありました。後ろ姿・・・😥
やっとひまわりがこっち向いてると思ってシャッターを切ったのに菜の花だかひまわりだか・・・ウゥ・・・ひまわりなんです🌻🌻🌻

ゴッホは1888年2月から1889年5月までの1年3ヵ月を、南仏のアルルで暮らしました。滞在した15ヶ月間で約200点もの作品を残しています。そのうち7点の「ひまわり」を描きました。ゴッホの才能が開花したのはプロヴァンスの自然に触れてからのことと言われています。
ひまわりはゴッホにとって太陽や南フランスの象徴であった・・・南仏の太陽として描いているのかと思っていたら、アルルの周りはひまわり畑でした。

最初に行ったのはアルルの跳ね橋
絵をみたら分かる通り別の場所に再現されたもの。運河の堤などの風景が違い過ぎる。どうせならもっとそっくりに作ればいいのに。

レピュブリック広場(Place de la République)世界遺産のあるアルル旧市街の中心に位置する広場

オベリスクはエジプトのものではありません。真似しただけです。
エジプトのオベリスクには文字が入っています。

正面はアルル市庁舎(Hôtel de ville d’Arles)1676年に完成した。
左側は聖アンナ教会(église Sainte-Anne d'Arles) 12世紀に建てられ現在は美術館。

広場の右側にあるのがサン・トロフィーム教会(Église Saint-Trophime)アルルの聖トロフィムスの聖遺物が納められている教会。現在の建物は11世紀から12世紀にかけて建造されたもので、もともとは大聖堂であった。その後改築を経て現在の形になりました。
古~い

キリストの埋葬とステンドグラス、迫力あり印象に残りました。
ゴッホの「夜のカフェテラス」画像は大ゴッホ展より拝借
西洋絵画ではこれまで夜空を黒か灰色で描かれていたのをゴッホが初めて夜空を青色に、ガス灯に照らされたカフェを黄色い灯りで描いたのでした。当時はかなり斬新だったのです。
母の大好きな絵で亡くなった時にベッドの横にこの絵のスカーフが貼ってありました。死亡確認に来たお医者様が「僕もこの絵が大好きでスマホの待ち受けにしてるんです」とニコニコしたのが印象に残っています。
今する話じゃないよと思いながら、生きている間にゴッホ談義が出来ればよかったのにとも思いました。母は個性的な人でしたが亡くなった時まで面白い話を残してくれました。
大人気の場所で写真撮影の順番待ちで人がいない時になかなか撮れません。
「夜のカフェテラス」のモデルになった「カフェ・ヴァン・ゴッホ」
Café van Goghは1990年代初めに絵に近付けるため黄色に塗り直されたのです。カフェが黄色だったわけではないのに商魂たくましいです。商魂が過ぎて脱税で2023年7月から営業停止にされています😰
アルルの円形闘技場(Arènes d’Arles)1世紀末頃に建造された。
当時は3層構造で2万人を収容できたとされていますが、現存するのは2層のみで、最上層は失われています。
古代劇場(Théâtre Antique ) は、紀元前1世紀に作られた劇場跡。中世には採石場とされた後に要塞に転用され、19世紀に現在の形に復元された。17世紀にここから発掘された「アルルのヴィーナス」像は、現在ルーヴル美術館に収蔵されています。
アルルのローマ遺跡は世界遺産ですが破損が大きく見ていてあまり魅力的ではない感じがしました。
この建物がゴッホが療養生活を送った病院の跡。
現在は図書館、お土産物屋さんなどが入った総合文化センターになっています。
右端の通路にあるのがゴッホの胸像です。
ゴッホの絵「アルルの療養所の庭」
そっくりそのままだ~と思ったら復元でした。
池を撮っていたら鳩が飛び出しびっくり😮
復元でも奇麗なところを見ているほうが楽しいわ。
ここから広場に戻り自由行動になりジュリアスシーザホテルに集合です。
私はサングラスを買いたくてうろうろしたのですがあいにく日曜日で空いているお店が少ないです。帽子屋さんが開いていたので素敵な帽子を買いました。大阪万博に被っていこうかな👒
かわいい看板!
暑くて暑くてぐったりで集合時間より少し早いのですが、集合場所のホテルに行き冷たいものを飲み休憩🥛 ほかのツアーメンバーはぎりぎりにいらっしゃいました。元気ね。
アルルは小さな町で安心して歩ける街でした。熱波さえなければ🥵