1月30日午後はファテープル・シークリーです。王宮地区とモスク地区とがあります。宮廷地区のみの観光でした。
子宝に恵まれなかったムガル帝国第3代皇帝アクバルが、アラブ郊外のシークリーに住む占い師シェーク・サリーム・チシュティーに「5年以内に3人の男児を授かる」と予言され実現しました。占い師への感謝として、ファテープル・シークリーに新都を築き遷都したといわれています。
しかし、慢性的な水不足と猛暑のため、わずか14年間(1571年〜1585年)しか使用されなかったそうです。
ディワーニ・ハース:貴賓謁見の建物ディワーニ・ハースの中です。真ん中の柱のクロス部分にアクバルが腰掛けて、謁見に来た人は下にいたそうです。ディーワーネ・アーム:一般謁見殿。国民が皇帝と謁見したところ。
一般参賀みたいなのかしら?
一般参賀みたいなのかしら?
パンチ・マハルは5層の侍女たちの館でした。かつては透かし掘りの壁が付いていたそうです。同じ柱がないところは特に必見。これじゃ分からないですね。びっしりと細かいレリーフが彫られています。暑い場所なので風通しに上のほうは透かし掘り赤砂岩ばっかりでつまらないと思っていたら、ガイドさんがここには金が貼ってあった残りが見られますと指をさして説明してくれました。当時は王宮には金が貼りめぐらされ、壁のレリーフの穴には宝石が埋め込まれ豪華だったそうです。「イギリス人が全部持って行った。大英博物館は泥棒博物館」と言ってました。しかも行く先々で・・・相当悔しい思いがあるのでしょう。大勢のお妃様が暮らしていて、クリスチャンのお妃様のために十字架もあります。池を造って少しでも涼しくと考えられた。厨房です。窓の上のレリーフはいイヤリング、かわいらしい❣
丸裸にされた赤砂岩の建物だけで映えない王宮でした。宝石が散りばめられ建物に絨毯が敷かれ、素敵なカーテンやすだれが風にたなびき当時は華やかだったのでしょう。
2 件のコメント:
インドってヒンドゥー教ではなかったでしたっけ?
モスクといったらイスラム教ですよね。
わずか14年間しか使用されなかった都。。。
でも豪華ですね。
壁のレリーフも見事です。
「イギリス人が全部持って行った。大英博物館は泥棒博物館」思わずプッとしてしまいました
よく言われるよね。
エジブトのミイラにしても、いいものはみんな大英博物館にあるような気がします。
☆brosaさん
>インドってヒンドゥー教ではなかったでしたっけ?
ヒンドゥー教は8割弱で二番目がイスラム教、他にもキリスト教、シーク教、など様々です。大きな国をまとめるためにもいろいろな宗教のお妃をおいたそうです。
>エジブトのミイラにしても、いいものはみんな大英博物館にあるような気がします。
ホントですよ。それにしてもインドの方々のイギリスへの恨み辛みは根深いと感じました。
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