エジプト その5 ルクソール神殿

2024年2月25日日曜日

エジプト

 

カルナック神殿を出る頃、ものすごい数の観光客が入ってきました。朝早く出発するのは意味があったのですね。カルナック神殿からバスで10分ほどでルクソール神殿に到着しました。

ルクソール神殿はカルナック神殿のアメン大神殿の離宮として建てられたところです。正面ラムセス像の前に建つオベリスク、元々2本1対だったのですがもう一本が立ってる場所はご存じパリのコンコルド広場です。フランスから「頂だい」と言われて、当時のアラブ人のエジプト総督はそれほどの価値を理解しておらず、「いいよ」と言ってしまったとガイドのハゼさんは言ってました。フランスからお礼に送られた時計台の時計は未だかつて一度も動いたことが無いそうです。バカにしてるわね😠 フランス製の時計は買わないぞと憤慨した私でした。

ラムセス2世の中庭
全員ラムセス2世!
自己顕示欲の強さは呆れるばかり。ラムちゃん、またか~と行く先々で笑ってしまった。

石像には一定の法則があるそうです。
左足を前に出しているのは生きている時に造られ、足を揃えているのは死んでから造られた。
髭に関しても生きているファラオの像は真っ直ぐな短い髭、上向きにカールする髭は神様を表す。
この法則とカルトゥーシュで囲まれた名前が彫られているのはファラオだというのと命を表すアンクを頭に入れてエジプト観光をするといいとガイドのハゼさんが言ってました。

大列柱廊の入り口にあるツタンカーメン王と王妃アンケセナーメン。ツタンカーメンは大列柱廊の開花式パピルス柱の装飾を行った。
10代で亡くなっているので顔が幼いですね。

こちらは90歳まで生きたラムセス2世、足元には一番愛した王妃ネフェルタリが彫られています。
横には上下エジプトの結合を表すレリーフ

裏には風雨から守られた当時のままの深く掘られた象形文字が残っていました。これにはびっくりです。
3,000年以上前なので電動工具もないのにこんなに深く綺麗に掘ることが出来たとは!

中庭の左の建物は屋上があるように見えるのですが、イスラム教のモスク、アブ・アル・ハッジャージルク。
砂に埋もれていたルクソール神殿が19世紀に掘り出された時、寺院の中庭の建物の上にモスクが建てられていたことが分かったそうです。移築も考えられたそうですが13世紀に建てられたモスク自体がすでに遺跡になっているのでそのまま残されることになったそうです。こんなおかしなことがあるんですね。
アメンホテプ3世の中庭の、下から彫像の「隠し場」が発見された。略奪から守るためなのか、キリスト教の時代に不要なものとして片づけられたのか不明。
壁画の説明も丁寧にガイドのハゼさんはしてくれたのですが、全く覚えていない。写真だけがたくさん残ってます😥
アメンホテプ3世の中庭から大列柱廊をぬけるとラムセス2世の中庭へと続く
カルナック神殿まで繋がっていたスフィンクス参道
ルクソール神殿前のスフィンクスは人の顔です。どこで羊に変わったのでしょうかね。
オペト祭でアムン神たちの神像が乗った聖舟の模型。
ナイル河では小舟で、陸路は御神輿だったのかな?
オペト祭、ナイル川の増水期にアメン大神殿からアメンの神と妻と息子神像を聖舟に乗せ、3km離れた南端のルクソールの神殿を行列したお祭り。
ファラオの説明らしい立札がありました。カルトゥーシュに囲まれた名前が2つあるのは誕生名や即位名等、ファラオの名前は一つではないそうだ。
ルクソール神殿の見学を終えバスで乗船する船に出発。街中に建っていた「生命」を表すアンク。船はすぐ近くでした。