トルコ旅日記 13 ブルーモスク & アヤソフィア(世界遺産歴史地区)

2009年10月22日木曜日

トルコ

旅行の六日目、イスタンブールへ戻ってきました。

「スルタン・アフメット・ジャミイ」
通称「ブルー・モスク」です。アフメット1世によって1609年に着工、1616年に完成。
ミナレットという塔が6本あります。
ミナレットとは一日5回の祈りの時間を知らせるためのもので、礼拝の15分前に一番上に登り、お経を唱えるそうです。
より遠くまで声が届くように高い塔になっています。
ブルーモスクと呼ばれているのはブルーに塗られていた時期があったからとか、中のブルーが印象的だからとか、いろいろな説があるようです。

靴を脱いで入ります。

高さ43m、直径23,5mのドームの四方を同じ直径の半円ドームが取り巻いています。 それを「像の脚」と呼ばれている直径5mの柱4本で支えています。

とにかく美しく、荘厳で見とれてしまいます。
灯りをぶら下げるためのワイヤーの数がすごくてピントがどこにあっているのやら・・・



アァ~、ピンボケ!
偶像崇拝禁止のイスラム教会のステンドグラスはお花の模様でした。
260ヵ所の窓すべてにステンドグラス
残念ながらすべて複製品




2万1000枚以上のイズミックタイル、17世紀、タイル1枚が金貨7枚分というからすごい!
当時のものは一部のみ。中二階のテラスが女性専用の礼拝場、モスクによって女性用の場所はいろいろ。 床の絨毯はトルコの国花チューリップ、この絵柄はいろいろなところに登場します。 日本人が思い浮かべるチューリップより細身です。ここは現在も使われているので礼拝の時間は観光客は入れなくなります。
アヤソフィアはブルーモスクと公園を挟んで向き合って建ってます。

この日も客船が3~4隻入ってきているので、押すな押すなの混雑です。

アヤソフィアとは「聖なる叡智の聖堂」
現在でもキリスト教会として世界で4番目の大きさ、しかもバチカンのサン・ピエトロ寺院より約1,000年前に建てられたものというのだからすごい!

よく見るとミナレットの形がすべて違う。
もともとキリスト教会だったものが後にイスラム教のモスクに転用されてから、別々のスルタン(国王)によって順番に建てられていったため。






324年建設開始
360年完成
404年暴動により焼失
415年再建
532年暴動により2回目の焼失
537年5年かけて再建
558年地震により大きな被害
726~843年聖画像破壊運動による被害
1204年第4回十字軍による略奪
1453年キリスト教からイスラム教へ
1520年~66年モザイク画が塗りつぶされる
1932年アメリカ調査団により漆喰の下のモザイク画発見
1934年アタチュルク様の意向で博物館になる

このドラマチックな歴史はなかに入るとずっしりとした感動を覚えました。 ブルーモスクよりずっと心に残りました。 
←写真の下の方、椅子の背のようなものはメッカの方角を示すミフラーブ、それを上から静かに見守るキリストを抱いたマリア様

右の写真はキリスト教時代に皇族家族や政府の役人が礼拝した席



このステンドグラス、ステキ!


2階に上がるのは階段ではなく石畳のスロープ、要人が馬に乗ったまま上がれるように。
薄暗く、一人では怖い













修復のために組まれた足場は18階建てのビルの高さだそうです。
直径7,5mの丸い円盤は6枚あり、アッラーと使徒の名前が書かれている。

アタチュルク初代大統領によりトルコは政教分離の国になったわけですが、キリスト教会であった建物でも良いものは良いと認め壊さなかった精神性が今ではトルコの誇りになっているそうです。












2階の回廊にはモザイク画がたくさんありました。
左上の絵はビザンチン美術の最高傑作といわれているもので、あまりの素晴らしさに聖画像破壊運動でも壊されず、漆喰も塗られずカーテンで覆われていたとか。
ドームの中央で静かに見守っている聖母子を2階に上がるとすぐ間近に見ることができた。 これは感動もの! 少しの時間のなか走って見に行った甲斐がありました。(左上)
「湿った柱」
銅板の穴に親指を入れて1回転させられれば願い事がかなうそうなので、
しっかり家族の幸せを願って、1回転成功させてきました
(*^^)v