トルコ旅日記 14 トプカプ宮殿とハレム(世界遺産歴史地区)

2009年10月30日金曜日

トルコ

トプカプ宮殿へアヤソフィアのすぐ横を歩いて行くと総門(皇帝の門)に突き当ります。
アヤソフィアのミナレットの形の違いがこの写真だと良く分かります。
この門の前は屋台やガイドブックやコマ売りの人でいっぱいです。
焼きとうもろこしがありました。
日本と同じです!
何やらお芝居をしている人たちもいました。
トプカプ宮殿の時代を再現している様子、言葉が分からないので想像です・・・
最初に宮殿の模型の前で時間がないので各自、行きたいところを絞って行くように言われました。 ハレムは別料金の入場券が必要です。見学希望者は券を受け取ったら、この中は自由行動になります。
私たちは宮殿の中とハレム、宝物館、聖遺物をチョイス。
厨房、陶磁器展示室、スルタンの衣装展示室はあきらめることにしました。
ここでも時間が足りない!
見損ねたものがもう一つ、ヨーロッパ大陸最初のキリスト教会「聖エレーネ教会」、皇帝の門を入ってすぐだったのだが説明がないので通り過ぎてしまった、残念(>_<)
ここのお庭から見たボスポラス海峡の景色は素晴らしかったです。 
風も気持ち良かった~

トプカプ宮殿は1467年に完成、1856年にドルマバフチェ宮殿に移るまでの400年間、スルタンの住まいだけでなく、政治の中枢でもあったところです。


これが宮廷料理を作っていた厨房です。
数百人の料理人が4,000人から5,000人の料理を作っていたそうです。
宮廷料理があったのでトルコ料理が世界三大料理に発展したと言われています。 
有田や伊万里からシルクロードを経てイスタンブールまでやって来た日本製の陶磁器が12,000点あるそうです。
見たかった~

絢爛豪華なもの、ロマンを感じるもの、悲しくなるものも盛りだくさんにあるところです。
86カラットのダイヤの周りに49個のダイヤがついているのは凄かった!この前に来るとみんな感嘆の声をあげてしまいます。 原石を拾った漁師がスプーン職人にスプーン3本と交換したという伝説から「スプーン職人のダイヤモンド」という名前がついています。
「トプカプの短剣」には大きなエメラルドが三っつ、他にも見たことのない大きさの宝石がごろごろ、金がギラギラ、スルタンの力の大きさが分かります。
聖遺物のところでは「モーゼの杖」が本物として大真面目(失礼!)に展示してありました。 写真が禁止なのが残念です。旧約聖書のあの「モーゼの杖」ですよ!? エッ、これで海が二つに割れたの???そんなに古そうに見えないのですが・・・トルコのアララト山にはノアの方舟が埋まっているなんて話もあったなぁ(~_~;) 他にもモハメッドの髪・・・信じる者は救われん、マッいいか!
(写真:NHK様から拝借)

ハレムは別料金ですが、美女はいないので勘違いしないように! しないか!
贅沢の限りを尽くしたような装飾。
真ん中の二枚はスルタンのお風呂、右は裸で無防備な時に襲われないように厳重な鉄格、左は入浴しているのがばれないように水を出しっぱなしにしていた水槽、「音姫」をあげたい! この時代は湯船には入らず、大理石の床下にお湯のパイプを通したサウナで垢すり、オイルマッサージとハマムの形だったそうです。
華やかな大奥を想像しますが、窓にはすべて鉄格子! 400もの部屋にいたのは女性だけではなく黒人宦官も多くいたのです。
黒人宦官はエチオピアあたりで奴隷として売られその場で去勢。 消毒薬が無い時代、砂漠の熱砂の中に首まで埋め生き残った者をトプカプ宮殿に連れてきたそうです。 そこで自暴自棄になりそうなものですが、人間生きていくためには頼もしいものです。 何も分からない幼いスルタンを自在に操り実権を握る者も現れて、スルタンの腐敗が始まっていった・・・

世界各地の奴隷市場から馬の三分の一ぐらいの値段で売られた女性達は lady教育としていろいろな教養を身につける勉強をさせられた。

スルタンの寵愛を受け男の子が生まれると個室を与えられた、しかしどんなに男の子がかわいがられてもスルタンに選ばれなければ殺されたというのだから信じられない。 かわいがっていて翌日には殺すなんて出来ないと思うけれど。

どんなにか鉄格子の外に憧れたことか・・・しかし、20世紀初頭、ハレムが閉鎖され、解放された女性たちは路頭に迷うことになるのです。 教育を受けた女性達、負けずにしたたかに生きていったと信じたい。