6月26日、南フランスでの初日はランチまではツアーの観光で午後は自由行動です。先ずはホテルから徒歩で観光です。
マセナ広場、市松模様のタイルが真四角ではないところがおしゃれ~トラムが来ました。景観を壊さないように、この辺を走る時は架線が無くなります。高いポールの上にお座りしてる像が7本あります。7つの大陸をイメージしているそうです。
太陽の泉 太陽神アポロン 1956年に作られたギリシャ彫刻。裸が受け入れられず市外へ追い出され2011年にやっと戻ってきたそうです。よくぞご無事だったこと!
フランスも芸術に関して保守的なところがあるとは思わなかった。
ニースの海岸遊歩道、プロムナード・デ・ザングレ「イギリス人の遊歩道」と言う意味。
18世紀後半には裕福なイギリス人がニースで冬を過ごすようになり、1820年台前半にイギリス人神父が資金を集めて散歩道を作りました。
それまでは小石に覆われる寂れたビーチだったそうです。イギリス人は素敵なところを見出だすのが上手ですね。
ビーチバレーの砂はどこからか運んだのでしょう。
突き当りが有名な展望台。
次は旧市街の中に入って行きました。
お花屋さんもありました。
ちょうどズッキーニのお花の季節で、フランスではお花を天ぷらにして食べるそうです。とても美味しいそうで大量購入している人がいました。食べてみたいなぁ。サン・レパラート大聖堂、旧市街地のガチャガチャしたところにあるバロック建築の大聖堂 1650年から1699年にかけられて作られた。場所に似合わず中は荘厳な雰囲気!?旧市街はこんな細い路地がいっぱいです。自由時間にはGoogleMapがとても役に立ちました。GoogleMapがなければ路地裏で目指すお店にはたどり着けなかったかも。
今回はeSIMを入れて行ったのいつでもどこでもネットに繋がるし、翻訳アプリも使えるので超便利でした。通りの名前の表示、肉屋街と書かれています。上がフランス語、下がニース語。ニース語は今では全く使われていませんが、昔、ニース語があったということを残すために表示してあるそうです。
今回はeSIMを入れて行ったのいつでもどこでもネットに繋がるし、翻訳アプリも使えるので超便利でした。通りの名前の表示、肉屋街と書かれています。上がフランス語、下がニース語。ニース語は今では全く使われていませんが、昔、ニース語があったということを残すために表示してあるそうです。
ニースはもともとフランスだったわけではありません。正式にフランスとなったのは比較的最近で1860年のこと。
それ以前は長い間このあたりの領地を有していたサヴォイア家によって統治されていました。現在のイタリアができる前の話。
その後サヴォイア家はイタリアの王家となった。イタリア王国の成立をフランスに承認してもらうため、1860年にニースはフランスに譲渡された。
なのでピザ屋さんやレモンチェッロやジェラート屋さんをたくさん見かけました。
次はバスでシャガール美術館にむかいました。途中で見かけてびっくりしたこの四角い箱を被った人! オブジェかと思ったらLa Tête Carrée(四角い頭)と言うれっきとした図書館の建物で事務室と書庫でした。こんな非効率な建物を建てるなんて日本では考えられないです。私が最後の車にしようと思っているメルセデスのスマートがたくさん走ってました。
フランスで見るからカワイイのかな?ツアーのバスで10分弱でシャガール美術館に到着。ラベンダーが咲いていました。入り口の前のお庭はとても綺麗でカフェもあり素敵ですが・・・暑くて暑くて外より室内の方がいいわ。中は赤い部屋と青い部屋に分かれて聖書のメッセージ画がです。モザイク画、直筆の葉書もありました。ステンドグラス青い薔薇はどこかのカテドラルにあったもの。私にはこれが一番気に入りました。ステンドグラスがあるコンサートホール。やっぱりシャガールはステンドグラスだと勝手に決めました。シャガール美術館から車で数分のマティス美術館に移動。正面にはだまし絵の窓が描かれています。入口は後ろです。
入口は地下でした。
入口にはマティスの切り紙絵。ニースの時代から切り紙絵に移行したのです。有名なマティスの絵画はここにはなくパリやニューヨークにありますが、マティスが愛したのは明るい光のニースでした。マティスが亡くなるまでの人生の後半を過ごしました。マティスは癌を患い、余命宣告を受けました。絵を描く体力がなくなり、切り紙絵という新たな芸術形式を確立しました。
次はマティス美術館からシミエの丘へ歩いて行きました。
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