3月3日シディ・ブ・サイドでの昼食後バスに乗りバスで30分ほどでチュニジアの首都チュニスに到着。
ハビブ・ブルギバ通り(Avenue Habib Bourguiba)
ハビブ・ブルギバとは、1956年にチュニジアがフランスから独立した際の初代大統領の名前。
19世紀フランス統治時代に造られチュニスのシャンゼリゼと言われている。外に並ぶカフェ、素敵な建物、街路樹・・・シャンゼリゼに見えなくもないが何かが違う😅
左端に見えている四角いミナレットがチュニジアのミナレットの形。
綺麗な建物でモスクかと思ったら財務省でした。
狭い路地のメディナ(旧市街)に入って一番最初に目に入ってきたのはの八角形のミナレット。1616年にオスマン帝国のユセフ王によって建てられたシディ・ユセフ・モスク(Mosquee Sidi Youssef)。八角形のミナレットはトルコスタイル。チュニジアにしては新しい方なので洗練されていてかっこいい。
メディナ(旧市街)にはいくつものスーク(市場)がぎっしりありました。スークは伝統的な革靴を専門としているところや宝飾品や貴金属、薬草、銅製品など何かに特化した市場に分かれています。どこからどうなっているのやら、一人だと絶対に迷子になってしまいます。
チェニスの伝統的職人街シェシーヤ・スーク(Souk Ech-Chaouachine)でChéchias Mohamed Ben Abaというお店に立ち寄りました。
チュニジアの伝統的なシェシーヤ(トルコ帽)を作っているお店です。最初はあんな大きなかぎ針編みの羊毛の帽子だそうです。
今どき売れないだろうなと思っていたら、別のスーク(市場)の入り口を写していたらシェシーヤをかぶったおじさんが写り込みました! 今でも使われてた~失礼しました😳
エル・アッタラン・スーク(Souk el Attarine) 香水や香料、化粧品の商店街。全く訳の分からないものが並んでいますがチュニジアの人達は香料が大好きです。
右側が9世紀半ばに建設されたGrand Mosquee(Jamma ez Zitouna ジャマー・ジトゥーナ)。ジトゥーナはオリーブという意味、日本語で言うと「オリーブモスク」。カルタゴの柱などを石材に転用して建設された。
この先のジャマー・ジトゥーナ通り(Rue Jamaa ez Zitouna)は狭い道の両側にお土産物屋さんやカフェが並ぶ賑やかな商店街。
近くに大学があるので他の地域と違い若い子が多かったです。若い子たちは私達を見ると慌てて口元を抑えてました。この頃はまだチュニジアにはコロナは来てなかったので致し方ない・・・それでも今思えばキャッキャしていて深刻ではなかったです。
美味しそうなお菓子屋さんが並ぶところもありました。
メディナの最後に通った通り。右端のお店の人が私達を見てさりげなく口元を押さえます。外国での初めての差別体験。差別される側の気持ちを考える良い体験だったと思います。基本的にチュニジアの人達は親切で怖い思いをすることもありませんでした。ツアーでご一緒の旅慣れた方々も北アフリカの中で一番人が好い国はチュニジアだとお話しされてました。
ごちゃごちゃした商店街を抜けるとフランス門(Bab El Bhar)のあるビクトワール広場(Palece de Victoire)に出ます。ここからは新市街になります。フランス門の先に小さく見えているのが「1月14日広場」の時計塔。ジャスミン革命の時、ベンアリ大統領の辞任を求めて、1月14日に民衆がデモを行なった場所が「1月14日広場」。
ビクトワール広場にあったお店、こういう衣料品店は多かった。売れるのかなぁ・・・
Hotel Royal Victoria、四つ星ホテル、豪華そうですね。
ここで少しの時間自由時間になりました。
新市街は19世紀フランス統治時代、碁盤の目状に造られた近代的な都市です。
チュニジアのドーナッツ、バンベローニ(bambalouni)のお店がありました。
600ディナール?! 1ディナールが約37円なのでそれ以下の単位を考えていなかったのですが、ミリウームという単位があったのです。1ディナール=1,000ミリウームでここのバンベローニは600ミリウーム、約22円! 安っ😲
安いバンベローニの並びにはデーツを使った高級お菓子の有名店、DEYMA。 皆さんはここで買ってらしたけど私は見ただけ。デーツがおフランス風になってました。
高級デーツ屋さんの隣のスーパー、Sortieに入ってみました。2階もお店ですが品揃えがいまいち・・・スーパーは前日に行ったMonoprixがず~~~っといいです。行っておいてよかった。
ビクトワール広場から真っすぐチュニジアのシャンゼリゼ、ハビブ・ブルギバ通り歩くと珍しく教会がありました。1887年建設のチュニス大聖堂、現在も現役の教会です。
I❤Tunisがあるのはチュニス大聖堂とフランス大使館の間の独立広場(Place de l'Indépendance)にあります。後ろに立っているのはイブン・ハルドゥーン(Ibn Khaldun)の銅像。チュニジア出身の中世イスラム世界を代表する社会学者。フランスに挟まれた独立広場に立つことに意味がありそう。
ここからばすでホテルに一旦帰り、夕食まで1時間半ほど休憩をしました。
バスの中から見かけたお花屋さん。
チュニジアの人はバラが大好きだそうですが、こういうお店に並んでいる半分は造花だそうです😲ハビブ・ブルギバ通り(Avenue Habib Bourguiba)
ハビブ・ブルギバとは、1956年にチュニジアがフランスから独立した際の初代大統領の名前。
19世紀フランス統治時代に造られチュニスのシャンゼリゼと言われている。外に並ぶカフェ、素敵な建物、街路樹・・・シャンゼリゼに見えなくもないが何かが違う😅
カスバ広場
フランスからの独立を記念して造られた独立記念塔と広場
立派な市庁舎
とにかく広い、右側は国防省、首相府などの政府機関が集まるため撮影禁止。警備も厳重でした。左端に見えている四角いミナレットがチュニジアのミナレットの形。
綺麗な建物でモスクかと思ったら財務省でした。
狭い路地のメディナ(旧市街)に入って一番最初に目に入ってきたのはの八角形のミナレット。1616年にオスマン帝国のユセフ王によって建てられたシディ・ユセフ・モスク(Mosquee Sidi Youssef)。八角形のミナレットはトルコスタイル。チュニジアにしては新しい方なので洗練されていてかっこいい。
メディナ(旧市街)にはいくつものスーク(市場)がぎっしりありました。スークは伝統的な革靴を専門としているところや宝飾品や貴金属、薬草、銅製品など何かに特化した市場に分かれています。どこからどうなっているのやら、一人だと絶対に迷子になってしまいます。
チェニスの伝統的職人街シェシーヤ・スーク(Souk Ech-Chaouachine)でChéchias Mohamed Ben Abaというお店に立ち寄りました。
チュニジアの伝統的なシェシーヤ(トルコ帽)を作っているお店です。最初はあんな大きなかぎ針編みの羊毛の帽子だそうです。
おじさんがかぶっているのがシェシーヤ。
編んだ帽子を木でできた型にあてて高温のスチームをかけて形を作る。いくつかの工程を経て、仕上げまで2か月以上かかる。今どき売れないだろうなと思っていたら、別のスーク(市場)の入り口を写していたらシェシーヤをかぶったおじさんが写り込みました! 今でも使われてた~失礼しました😳
エル・アッタラン・スーク(Souk el Attarine) 香水や香料、化粧品の商店街。全く訳の分からないものが並んでいますがチュニジアの人達は香料が大好きです。
右側が9世紀半ばに建設されたGrand Mosquee(Jamma ez Zitouna ジャマー・ジトゥーナ)。ジトゥーナはオリーブという意味、日本語で言うと「オリーブモスク」。カルタゴの柱などを石材に転用して建設された。
この先のジャマー・ジトゥーナ通り(Rue Jamaa ez Zitouna)は狭い道の両側にお土産物屋さんやカフェが並ぶ賑やかな商店街。
近くに大学があるので他の地域と違い若い子が多かったです。若い子たちは私達を見ると慌てて口元を抑えてました。この頃はまだチュニジアにはコロナは来てなかったので致し方ない・・・それでも今思えばキャッキャしていて深刻ではなかったです。
美味しそうなお菓子屋さんが並ぶところもありました。
Café essour
メディナにはステキなカフェがたくさんありました。今でもシーシャ(水パイプ)を吸っている人が多いのには驚きました。メディナの最後に通った通り。右端のお店の人が私達を見てさりげなく口元を押さえます。外国での初めての差別体験。差別される側の気持ちを考える良い体験だったと思います。基本的にチュニジアの人達は親切で怖い思いをすることもありませんでした。ツアーでご一緒の旅慣れた方々も北アフリカの中で一番人が好い国はチュニジアだとお話しされてました。
ごちゃごちゃした商店街を抜けるとフランス門(Bab El Bhar)のあるビクトワール広場(Palece de Victoire)に出ます。ここからは新市街になります。フランス門の先に小さく見えているのが「1月14日広場」の時計塔。ジャスミン革命の時、ベンアリ大統領の辞任を求めて、1月14日に民衆がデモを行なった場所が「1月14日広場」。
ビクトワール広場にあったお店、こういう衣料品店は多かった。売れるのかなぁ・・・
Hotel Royal Victoria、四つ星ホテル、豪華そうですね。
ここで少しの時間自由時間になりました。
新市街は19世紀フランス統治時代、碁盤の目状に造られた近代的な都市です。
チュニジアのドーナッツ、バンベローニ(bambalouni)のお店がありました。
600ディナール?! 1ディナールが約37円なのでそれ以下の単位を考えていなかったのですが、ミリウームという単位があったのです。1ディナール=1,000ミリウームでここのバンベローニは600ミリウーム、約22円! 安っ😲
安いバンベローニの並びにはデーツを使った高級お菓子の有名店、DEYMA。 皆さんはここで買ってらしたけど私は見ただけ。デーツがおフランス風になってました。
高級デーツ屋さんの隣のスーパー、Sortieに入ってみました。2階もお店ですが品揃えがいまいち・・・スーパーは前日に行ったMonoprixがず~~~っといいです。行っておいてよかった。
ビクトワール広場から真っすぐチュニジアのシャンゼリゼ、ハビブ・ブルギバ通り歩くと珍しく教会がありました。1887年建設のチュニス大聖堂、現在も現役の教会です。
I❤Tunisがあるのはチュニス大聖堂とフランス大使館の間の独立広場(Place de l'Indépendance)にあります。後ろに立っているのはイブン・ハルドゥーン(Ibn Khaldun)の銅像。チュニジア出身の中世イスラム世界を代表する社会学者。フランスに挟まれた独立広場に立つことに意味がありそう。
ここからばすでホテルに一旦帰り、夕食まで1時間半ほど休憩をしました。
4 件のコメント:
ユメミーさん
こんにちは~
現代と歴史的市街地が混在した町でしょうか
やはりどこもイスラムの雰囲気
個人的にイスラムはNGなんです
勿論、異文化としては認めますが・・・・
☆栄ちゃん
こんばんは~
>個人的にイスラムはNGなんです
そういう方もいらっしゃるでしょう。
私は若い頃に勤めていた会社にはいろいろな国からがお客様がいらっしゃいました。
私自身がイスラム教になるのは無理ですが
会社での教育が大きかったのかNGとかは考えたこともないです。
サウジの方が正装でいらして立派なキャビアを頂いたこともあります。
モルジヴもトルコも今回のチュニジアも良い人たちばかりで嫌な思いは一度もしませんでした。
こんばんは
綺麗な街ですね。
イスラムのわりには、そういう格好をした女性が少ないような気がします。
私は全然気にならない。
ドーナッツが安いのもいいですね!
白い建物に青い空。。。
私もいきたい!
あと5年たてば海外解禁。
注射生活が終わったら、絶対に行くわと。。ひそかに心に誓っている私です。
それまではなんとしてもコロナに罹らないで頑張らねば!って気になります。(笑)
☆brosaさん
こんにちは~
あと5年で解禁・・・長いような短いような・・・
今後しばらくは海外旅行が値上がりすると言われているので、5年後でちょうどいいかも(^_-)
とにかく元気でいなければね!
イスラムの服装を全身まとっている人は都会に来たら減りましたがまだまだ見かけました。
スカーフで髪を隠している人は多かったです。
地中海沿岸の都市はヨーロッパの影響も大きいからではないかと思います。
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