3月2日、お昼を食べたホテルから10分程でドゥッガ遺跡に到着。丘の上にあり広々とした緑の広がる気持ちの良いところです。
ローマ帝国が衰退しアラブ時代になっても人が住み続けたため、石材の略奪をまぬがれたため保存状態が良い。
20世紀初め発掘と修復が作業が始まり住民は移住させられた。1997年に世界遺産に登録された。
まずは駐車場の真ん前にある劇場へ行きました。上からの景色は最高です。
丘の傾斜を利用した半円形の劇場、168年、富裕市民が建設。3,500席、後方は斜面を彫り込んで建っている。一番下の特等席は石の仕切りで区切られている。
舞台にはプロンプターが!セリフを忘れた役者にここから教えていたそうです。
どーんと建っているのがキャピタル神殿。手前は風の広場。
キャピタル神殿はジュピター、ジュノー、ミネルヴァの三神を祀るための神殿。
隣の柱だけがマーキュリー神殿、商売の神。
風の広場には良く見ると大きな円が描かれています
円に囲まれて12種類の風の名前が記されているので風の広場という。
風の広場の丸い円の中心に 添乗員さんが鞄から小道具を取り出し真ん中に置きました。
方位磁石を置いたのです。
東西南北が円からでた真っ直ぐの線にぴったり合っています。すご~~い!
この広場には方位を12に区切り、それぞれの方向にある地域名と、そこから吹いてくる風の名前が書いてある。
占いなのか?
収穫の場所を決めたのか?
キャピタル神殿の柱は 高さ8mのコリント様式の柱。
コリント様式とは柱の頭にアカンサスの葉が彫られているのが特徴。
360度見渡せる景色に気を取られ、この辺から添乗員さんの説明があまり頭に残っていない>ダメじゃん😓
フォーラム広場、人々が集う中心広場、周囲には38本の円柱と重要人物の像が並んでいた。乗っていた台座のみが残る。
残っていた彫刻は顔が削られている。
フォーラム広場から真ん中に見える四角い門のところに向かいました。道路は舗装され下は下水道、四角い穴のマンホールには石の蓋が置かれている。
薬草商の家ダル・エル・アシェブ(アシェブ家邸)からのキャピタル神殿は写真スポット📷
アシェブ家邸は神殿、奴隷市場、民家なのか、本来の使用目的は不明。
少し下って来たところのモザイクを張りめぐらした立派な邸宅に来ました。
ディオニソスとユリシーズの家、たぶん(^^;) GPSでは合ってる・・・
この家から見事なモザイクが出土し、そのモザイクの名前で呼ばれている。モザイクは世界的にも有名な傑作でバルドー博物館に保管されている。
この家で発見された「ユリシーズとセイレーン」⤵
最終日にバルドー博物館に行きやっと御対面!
真ん中の船に立っているのがオデュッセウス(ユリシーズ)。
右には足が鳥のセイレーン。
セイレーンの歌声に惑わされないようにオデュッセウス(ユリシーズ)は自分の体を柱に縛り、オデュッセウスのそばにいる4人は耳栓をしている。
このディオニソスとユリシーズの家はローマ式邸宅、モザイクで飾られた開放中庭を中心に部屋が並ぶ。
向うに見えている塔はリビコ・プュニック廟。
第二次ポエニ戦争で亡くなったヌミディア人兵士アテバンの墓。 高さ21m、BC200年頃建造、付いていた碑文はカルタゴ語とヌミディア語で書かれていた。現在は大英博物館所蔵。
1842年に碑文が大英博物館へ持ち出される際に崩壊してしまい、20世紀初めフランス政府によって再建された。
トリフォリウムの家(Maison du Trifolium)の入り口。
トリフォリウムとはクローバーのこと。
中庭を囲む小部屋があるので公営の売春宿とされている。
小部屋の前にはマークが印されていてその中にクローバーの形があることからトリフォリウムの家と呼ばれている。
ローマ遺跡でよく見かけるトイレだがこういう説明を聴いたのは初めてです。今回の添乗員さんのお蔭でただの壊れた石にしか見えなかった遺跡が映像として浮かび上がるようになりました。高校の授業で出会いたかったわ。
せっかく面白くなってきたのにこれだけで帰るのは残念でした。
チュニスでお土産に海綿を買った大阪のおばちゃんをからかいながらチュニスに帰りました😁
チュニスのホテル、Laico Tunisに戻ってから歩いて10分ほどのところにあるスーパー、Monoprixに連れて行っていただきました。ビルの入口では荷物検査がありました。MonoprixはB1です。ここは豊富な品揃え、オリーブオイルも充実していて安心してお買い物が出来ました。
添乗員さんお薦めのチョコレートも買いました。
コロナ騒動ですべての予定がキャンセルになり誰にも未だにお土産を渡せていません😢
駐車場の前にいきなり遺跡です。
紀元前4世紀末、ドゥッガDougga/Thuggaはもともとベルベル人(ヌミディア人)の町として建設された。紀元前2~1世紀にはヌミディア王国の中心都市であった。205年にはローマ都市権が与えられ、261年にはローマの植民地となる。ローマの穀倉地帯となった北アフリカでその集積所としてドゥッガは繁栄を極める。ローマ帝国が衰退しアラブ時代になっても人が住み続けたため、石材の略奪をまぬがれたため保存状態が良い。
20世紀初め発掘と修復が作業が始まり住民は移住させられた。1997年に世界遺産に登録された。
まずは駐車場の真ん前にある劇場へ行きました。上からの景色は最高です。
丘の傾斜を利用した半円形の劇場、168年、富裕市民が建設。3,500席、後方は斜面を彫り込んで建っている。一番下の特等席は石の仕切りで区切られている。
舞台にはプロンプターが!セリフを忘れた役者にここから教えていたそうです。
どーんと建っているのがキャピタル神殿。手前は風の広場。
キャピタル神殿はジュピター、ジュノー、ミネルヴァの三神を祀るための神殿。
隣の柱だけがマーキュリー神殿、商売の神。
風の広場には良く見ると大きな円が描かれています
円に囲まれて12種類の風の名前が記されているので風の広場という。
風の広場の丸い円の中心に 添乗員さんが鞄から小道具を取り出し真ん中に置きました。
方位磁石を置いたのです。
東西南北が円からでた真っ直ぐの線にぴったり合っています。すご~~い!
この広場には方位を12に区切り、それぞれの方向にある地域名と、そこから吹いてくる風の名前が書いてある。
占いなのか?
収穫の場所を決めたのか?
キャピタル神殿の柱は 高さ8mのコリント様式の柱。
コリント様式とは柱の頭にアカンサスの葉が彫られているのが特徴。
360度見渡せる景色に気を取られ、この辺から添乗員さんの説明があまり頭に残っていない>ダメじゃん😓
フォーラム広場、人々が集う中心広場、周囲には38本の円柱と重要人物の像が並んでいた。乗っていた台座のみが残る。
残っていた彫刻は顔が削られている。
フォーラム広場から真ん中に見える四角い門のところに向かいました。道路は舗装され下は下水道、四角い穴のマンホールには石の蓋が置かれている。
薬草商の家ダル・エル・アシェブ(アシェブ家邸)からのキャピタル神殿は写真スポット📷
アシェブ家邸は神殿、奴隷市場、民家なのか、本来の使用目的は不明。
少し下って来たところのモザイクを張りめぐらした立派な邸宅に来ました。
ディオニソスとユリシーズの家、たぶん(^^;) GPSでは合ってる・・・
この家から見事なモザイクが出土し、そのモザイクの名前で呼ばれている。モザイクは世界的にも有名な傑作でバルドー博物館に保管されている。
この家で発見された「ユリシーズとセイレーン」⤵
最終日にバルドー博物館に行きやっと御対面!
真ん中の船に立っているのがオデュッセウス(ユリシーズ)。
右には足が鳥のセイレーン。
セイレーンの歌声に惑わされないようにオデュッセウス(ユリシーズ)は自分の体を柱に縛り、オデュッセウスのそばにいる4人は耳栓をしている。
ディオニソスのモザイク
ディオニュソスの凱旋の一場面、ディオニュソスは船首に立つ若い青年の方で太ったおじさんの方ではないです。このディオニソスとユリシーズの家はローマ式邸宅、モザイクで飾られた開放中庭を中心に部屋が並ぶ。
向うに見えている塔はリビコ・プュニック廟。
第二次ポエニ戦争で亡くなったヌミディア人兵士アテバンの墓。 高さ21m、BC200年頃建造、付いていた碑文はカルタゴ語とヌミディア語で書かれていた。現在は大英博物館所蔵。
1842年に碑文が大英博物館へ持ち出される際に崩壊してしまい、20世紀初めフランス政府によって再建された。
トリフォリウムの家(Maison du Trifolium)の入り口。
トリフォリウムとはクローバーのこと。
中庭を囲む小部屋があるので公営の売春宿とされている。
小部屋の前にはマークが印されていてその中にクローバーの形があることからトリフォリウムの家と呼ばれている。
公衆トイレ
添乗員さんが詳しく説明してくれた。 棒の先に着けた海綿を濡らし、トイレットペーパーの代わりにしてゴシゴシとジェスチャー付きで!ローマ遺跡でよく見かけるトイレだがこういう説明を聴いたのは初めてです。今回の添乗員さんのお蔭でただの壊れた石にしか見えなかった遺跡が映像として浮かび上がるようになりました。高校の授業で出会いたかったわ。
振り返るとなかなかの迫力
約65haもある広い遺跡のなかで見たのはたったこれだけです。せっかく面白くなってきたのにこれだけで帰るのは残念でした。
チュニスでお土産に海綿を買った大阪のおばちゃんをからかいながらチュニスに帰りました😁
チュニスのホテル、Laico Tunisに戻ってから歩いて10分ほどのところにあるスーパー、Monoprixに連れて行っていただきました。ビルの入口では荷物検査がありました。MonoprixはB1です。ここは豊富な品揃え、オリーブオイルも充実していて安心してお買い物が出来ました。
添乗員さんお薦めのチョコレートも買いました。
コロナ騒動ですべての予定がキャンセルになり誰にも未だにお土産を渡せていません😢
4 件のコメント:
ユメミーさん
こんにちは~
紀元前の歴史は「へぇー.そうなの」と感心するばかりで
現存するものとの想像のマッチング世界 それがロマンなのでしょうけど・・・
今回の担当ガイドのスキル・レヴェルは高いですね
お客の喜ばせ方を知ってるようで
小道具 説明補助資料 いいですね。
良い人に出会いました
☆栄ちゃん
こんばんは~
現地ガイドの方もいるのですが、添乗員さんが全部説明してくれました。
ウィーンに行った時の添乗員とはえらい違いでした。
年齢が高そうで最初はびっくりしましたが、さすがベテランでした。
早く自由に旅行が出来るようになって欲しいです。
小道具もあり、現地ガイドよりもポイントを押さえている添乗員さんにあたってよかったqですね。
添乗員の力量によって、よりツアーが楽しくもなりますよね。
ドウッガ遺跡は広いんですね。
時間の関係上、主要部分しか見ることが出来なかったのは残念でしたね。
☆brosaさん
今回の添乗員さんは大当たりでした。
ユーラシア旅行者は今回初めて友達の勧めで利用しました。
添乗員さんのレベルが違いました。
チュニジアは綺麗な景色だけを見るところではないのでガイドや添乗員さんによってチュニジアの印象が変わってしまうと思いました。
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