2月29日、この日も340km移動するので朝5時起きです。時差がまだ取れてないので楽に起きられます。
朝一番に訪れたのは太陽の光で隠れてしまいましたがwelcomeと書かれた展望台。
添乗員さんが急な崖を何回も行ったり来たりして皆の写真を撮ってくれました。命がけです、無事で良かった!
モニュメントだけでなく、岩山の連なる荒涼としたダハール山地の景色も圧巻です。
途中で一回休憩をはさみ、3時間かけてやっとエル・ジェム(El Jem)に到着。この途中で寄ったサービスエリアはスーパーなみに人気のお菓子がたくさんありました。スーパーで買う前に味見のために一つ買ってみました。チュニジアのお菓子は美味しいです。
チュニジアでは町に入るとI🤍・・・がありました。
I🤍ELJEMのすぐ隣にどか~~んとお目当てのものはありました。
エル・ジェムの円形闘技場(Amphitheatre of El Jem)
3世紀頃に造られた。3分の1ほどが失われているが17世紀まではほぼ原型を保っていた。こちら側が壊れているのは1695年、反乱を起こしてここに立てこもったベルベル人に対して、オスマン・トルコ軍が大砲が撃ち込んだため。
アフリカを象徴する女性モザイクが有名なので「アフリカの家」と呼ばれている。「アフリカの家」紀元170年頃に建てられ、1990年代に偶然発見された豪華な貴族の住居。
朝一番に訪れたのは太陽の光で隠れてしまいましたがwelcomeと書かれた展望台。
ここは写真スポットです。
思い思いの角度から皆さん写真撮影に忙しい添乗員さんが急な崖を何回も行ったり来たりして皆の写真を撮ってくれました。命がけです、無事で良かった!
モニュメントだけでなく、岩山の連なる荒涼としたダハール山地の景色も圧巻です。
途中で一回休憩をはさみ、3時間かけてやっとエル・ジェム(El Jem)に到着。この途中で寄ったサービスエリアはスーパーなみに人気のお菓子がたくさんありました。スーパーで買う前に味見のために一つ買ってみました。チュニジアのお菓子は美味しいです。
チュニジアでは町に入るとI🤍・・・がありました。
I🤍ELJEMのすぐ隣にどか~~んとお目当てのものはありました。
エル・ジェムの円形闘技場(Amphitheatre of El Jem)
3世紀頃に造られた。3分の1ほどが失われているが17世紀まではほぼ原型を保っていた。こちら側が壊れているのは1695年、反乱を起こしてここに立てこもったベルベル人に対して、オスマン・トルコ軍が大砲が撃ち込んだため。
3分の1ほどが失われたものの、非常に保存状態がよく、1979年に世界遺産に登録された。
ローマのコロッセウムとカプア遺跡に次いで世界第三位の大きさ。観客席35,000人、当時の町の人口の倍の大きさ。
入口では荷物検査がありましたが形だけ(^^;)
片面だけでもこれだけ完璧に残されているというのはあまりない。砂岩で造られているため、強度が弱いので幅の狭いアーチを多くすることで強度を補った。
最初に地下を見学。地下部分は1904年になってから発掘されたので原型をとどめている。剣闘士の控室や、処刑される囚人や猛獣の檻を入れておく部屋、貯水槽などがある。奈落から囚人や猛獣は檻に入れたまま、人力のエレベーターで闘技場へ運ばれた。
3階の観客席裏、急こう配で階段がきつかった~
3階まで登ると全景を見ることが出来ます。向う側の座席の一部は修復。下は身分の高い市民の席、上は平民席。
3階から見たI🤍ELJEM側の景色
エル・ジェム周辺はオリーブオイルの生産で潤った土地といわれ、その富が円形闘技場の建設資金にあてられた。
2階から
アレーナは ラテン語で「砂」の意味、闘技が行われた平土間舞台に砂を撒き血で汚れると交換した。残忍な闘技が繰り広げられていたんです・・・
カーブした回廊、貫録を感じます。
円形闘技場の周辺にはお土産用のモザイク工房がたくさんあり作っているところを覗くことが出来ます。
さそりやガラガラヘビの標本😱
お土産物屋さんや美しいチュニジアン・ドアを見ながら博物館に移動しました。
エル・ジェム博物館(El Jem Museum)
ーマ様式の別荘の敷地に建物を復元して博物館として公開している。この博物館はエル・ジェム周辺で発見されたモザイク画が展示されている。2~4世紀のローマ時代と6世紀ビザンチン時代のもの。モザイク画は基本的に、豪邸の床面を飾っていたもの。
孔雀の中庭
孔雀は豊かさのシンボルだった。肝心の孔雀が削られている。
ディオニソス家のモザイク、ライオンに襲われる猪
アフリカの家のモザイク
ローマ世界をシンボル化したもの。左のアフリカ:象の牙を女神の角のように見せている。一番下はシチリア:頭に三本の足が生えている、シチリアの三つの岬をあらわす昔からのシンボル「トリナクリア」、その右側はエジプト:古代エジプトの楽器シストラムを持っている。アフリカを象徴する女性モザイクが有名なので「アフリカの家」と呼ばれている。「アフリカの家」紀元170年頃に建てられ、1990年代に偶然発見された豪華な貴族の住居。
この彫刻は頭がもぎ取られたのではなく、頭の部分を差し替え使いまわしが出来るようになっている。合理的~
建物の外は2世紀ごろのローマ市民のヴィラ。
住居地区、舗装道路が残っている。
住居地区、舗装道路が残っている。
エル・ジェムは縁の生い茂る豊かな町でオリーブオイルの生産で潤っていた。乾燥化が進み徐々に衰退していき、町も競技場も砂に埋もれていった。
まだまだ大きく立派なモザイクがありました。春夏秋冬を表したものや食堂にある食べ物のモザイク、ローマ神話などなど多すぎるのでこの程度で終了としましょう。
13時、クラブ・クサール・エル・ジェム(Hotel club ksar Eljem)で遅めのお昼ご飯です。
今流行りのチョップドサラダはもしかしてチュニジア発祥かと思った。どこでもサラダはみじん切りでオリーブオイル和えだった。
入口にあった鳥籠。この独特の形の鳥籠はお土産物屋さんで必ず売ってました。初めて本当に鳥が居るのを見ました。
入口にあった鳥籠。この独特の形の鳥籠はお土産物屋さんで必ず売ってました。初めて本当に鳥が居るのを見ました。
ここから1時間でいよいよチュニジア一番の観光地スースです。
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