チュニジア14 唯一無二の都市遺跡ケルクアン

2020年4月17日金曜日

アフリカ チュニジア

3月1日14時、ケルクアンに到着。ケルクアンは紀元前6世紀ごろにフェニキア人によって建設され、カルタゴの都市となった。カルタゴとはボン岬の近くにあった古代の国で、現在の都市名をケルクアンといいます。
古代カルタゴはローマ帝国と対立し、戦いの末に滅ぼされた。
ケルクアンは紀元前264~紀元前241年の第一次ポエニ戦争の間に放棄され、ローマ人やアラブ人の都市に作り替えられることがなく埋もれてしまった。
1952年に近くで釣りをしていた考古学者に偶然発見された。それまで消えたと思われていたカルタゴという国の都市遺跡が現れたのだった。世界でも類を見ないフェニキア人が造ったオリジナルな町としてケルクアンは1986年に世界遺産に登録された。
最初に入口にあるケルクアン考古学博物館で添乗員さんの説明を聴きました。
シチリアに近くBC4世紀、シチリアから襲撃を受け城壁が二重になった。博物館には1968年に発見された墓地から発掘された副葬品、オイルランプ、陶器、装身具、素焼の小神像などが展示されている。墓地遺跡は公開されていません。
女性の形の木製の棺は「ケルクアンの婦人」とも呼ばれ、レバノン杉製で、フェニキアの愛と豊穣の女神アシュタルテを模ったものとされている。
このような木製の棺が現存しているのは世界でも稀。
スーパー添乗員さんはガイドさんに頼らず、自作の資料で説明してくれます。
ケルクアンが栄えたのはホネ貝の分泌液で紫色に染色する技術を持っていたことによると言われている。抽出された貝紫は高貴な色とされ、染めた布地は交易品として珍重された。ケルクアンは貿易の他には石工やガラス職人が多く住む町で2,000人ほどが暮らしていたと推測されている。
ここから都市遺跡の始まりです。
目の前が広々とした青い海で気持ちの良い所です。
真ん中の赤いところはお風呂です。ケルクアンで一番面白かったのは各家庭にお風呂があったことです。
お風呂跡。浴槽は腰掛式、かけ湯した。
あっちにもこっちにも浴槽がある。浴槽が赤いのは防水効果のあるコンクリートで造られていた。下水施設があったことなども判明し綿密な都市計画で造られた町であったと推測されている。
城壁があったので海は見えなかっただろうけど、家で海を眺めながらお風呂に入れたら最高だわ。
家の設計はほぼ同じ
中庭を囲む部屋、浴室、二階に上がる階段跡がある。
フェニキアの豊穣の神タニトのモザイク画
モザイクと言っても白い点々のみ。
深そうな海、海沿いを歩いて戻りました。昔の海へ降りる階段も残っていました。
とても貴重な遺跡なのに浸食を防ぐ為に護岸工事はこの程度、お金が無いので発掘調査も進んでいない。
町の中心にある円柱の家は神殿だったのでは・・・共同浴場らしきものは円柱の家の隣なので参拝前の沐浴場だったのでは?とかまだまだ謎が多い。
立派な神殿を見るより生活感が伝わり面白かった。お風呂を各家庭に備えていたのはホネ貝の染色時に出る臭いを消すための必需品だったのか、風呂好きの人種だったのかはっきり分かっていないそうだが、香水ではなくお風呂を選んだフェニキア人に親近感を覚えます。
ケルクアンからチュニスに向かう途中は相変わらずゴミだらけ。冷蔵庫が現在は家庭にあるが食べる直前に捌くのが一番新鮮という風習が残っている。でもプラスチックを食べてしまいそうで心配😨
首都チェニスの近くは田舎から引っ越してきた人たちが勝手に家を建てているそうです。ここでも鉄筋が上に出たままで住み始めている。羊ちゃんもゴミに注意して!
チュニジアに来て初めて電車に曹禺!
鉄道はフランスが作ったそうですがあまり機能していないんだとか😓
17時半、この日から三連泊するホテル、ライコ・チュニス(Laico Tunis SPA & Conference Center)に到着。大きすぎて自分で撮った外観がなかったのでホテルのサイトから写真を拝借。大きな会議があったらしく黒塗りの車がずらっと並んでいた。ホテルに入る時は常に荷物検査があり各フロアに警備員がいました。
ロビー、大都会に戻って来たんですね。
すっかり都会のホテルでした。両替は左の機械。
お部屋は広くて快適
部屋からの景色
夜景
一流ホテルらしい品揃えですがスース・パレスの方が美味しかったなぁ・・・
この日までチュニジアにはコロナ感染者はゼロ、日本は感染国なので入国時に問診票を提出しただけで問題なくきました。しかしこの日チュニジアの健康省からガイドさんに電話が入り、1日3回検温することになりました。ついに来たかという感じです。スーパー添乗員さんはこんなこともあろうかと非接触型体温計を3本用意されていました。最後の日に健康省から誰も発熱していないか確認があっただけで無事に過ごすことが出来ました。