ローライフレックスのレンズ、テッサーに歴史あり

2015年5月28日木曜日

日記

夫が父親から譲り受けたRolleiflex、二眼レフカメラです。 もう使わないのでオークションに出そうかといろいろ調べていたら値段がピンキリなのに驚かされました。 いろいろ調べ始めたらどうやらRolleiflexでもプラナーというレンズが付いているものが高級品扱いされているようです。
我が家のレンズを見てみると「Zeiss-Opton Tessar」とあります。 プラナーじゃないのかとがっかりしながら、このレンズのメーカー、カール・ツァイス、Zeiss-Optonをウィキペディア調べてみたら、なんと、感動的な話がありました。

第二次世界大戦の敗戦直後、ドイツの東西分断により、ドイツ東部にあったイェーナはソ連占領統治下に置かれた。しかしアメリカ軍はカール・ツァイスの光学技術をソ連にそのまま渡すことを阻止するためソ連軍に先んじてイェーナに入り、1945年6月24日に125名の技術者とその家族を拉致、また8万枚の図面とともにイェーナを出発、オーバーコッヘンに移動させ、ツァイス・オプトンとして光学機器の生産を引き継いだ。一方ソ連軍はイェーナの工場群を接収、残った技術者もソ連に送った。これによってカール・ツァイスは東西に分裂した。東側はイェーナに半官半民の「人民公社カール・ツァイス・イェーナ」を設立、このイェーナのカール・ツァイスは東ドイツの誇る光学機器メーカーとして存続した。その後1970年代になると東西のカール・ツァイスはどちらも有名な一流企業に復活し世界市場で競合するようになり、どちらも戦前からの商標を使用していたため紛争が生じた。このため東ドイツのカール・ツァイスの提案で会議が開かれ、東側が「カール・ツァイス・イェーナ」を名乗り、西側が「カール・ツァイス・オプトン」を名乗る。

Rolleiflex を造っていたフランケ & ハイデッケ社は 1949年、両社から テッサーを買い入れた。
それでその当時製造されたいた Rolleiflex には イェーナ製のテッサー付きとオーバーコッヘン製オプトン・テッサー付きの 2種類が存在する。 

東のイェーナ製が元祖だということでオプトン・テッサーは人気がないようです。 しかし、遠く離れた地に連れて来られて東のテッサーに負けないテッサーを作ろうと頑張っていたなんて感涙ものじゃないですか。
東と西の二種類のテッサーを付けてRolleiflex を売り出したフランケ & ハイデッケ社もえらいですね。
仲良くしてというメッセージが込められているように思います。
多少、写りが悪いのかもしれないけれどオプトン・テッサーのRolleiflexが愛おしくなってきました。
今、この深いい話を分かってくれる方に譲ろうと考えています。