エジプト その19 エジプト最終日は考古学博物館

2024年6月7日金曜日

エジプト

 2月2日ついに最終日8:45に荷物を出し、9時半にホテルを出発、エジプト考古学博物館へ行きました。

エジプト考古学博物館、収蔵点数は20万点! たくさん写真を撮ったけれど印象に残ったものを備忘録としてblogに載せておきます。
それにしても世界最大規模の博物館、大エジプト博物館はいったいいつオープンするのでしょう。今回の旅行の計画をした1年前は2024年にはいくら何でもオープンしていると思ってエジプトに行くことにしたのに未だにオープンしていません😢これがエジプトなんです・・・
考古学博物館の入口はとても素敵・・・でもやっぱりここもすごい人!
カフラー王。ギザの三大ピラミッドを建設した3人のファラオの一人。
三大ピラミッドの二人目が真ん中にいるメンカウラー王
そして、なんと言うことでしょう。一番大きなピラミッドを造ったクフ王の像は7.6cm! 完全な状態で残っているクフ王の姿はこれのみだそうです。可愛いけど大きなものを残したがるファラオにしてはちょっと気の毒。今後に期待しましょう。
パピルスにメモを取る書記。エジプト最高額 200ポンド紙幣になっています。「苛酷な労働から身を守るため、文字を覚えよ」と新王国時代のエジプト人は言ったそうです。クフ王よりずっと高額の紙幣になっているということは現代の人にもお勉強をしなさいと言っているのでしょうか。
神官カーアペルだが「村長」として知られています。世界最古の木造彫刻だそうです。前足に重心をかけ、歩いている様子が高く評価されています。
発見した時、発掘作業員が暗闇の中で亡くなったばかりの村長にそっくりなので「村長だ、村長だ」と喚きながら穴から出てきたので、誰だか特定されるまで村長と呼ばれていたそうです。
この話があまりにリアルで面白いので頭に残ってしまいました。
発見当時のツタンカーメンのお墓の様子を説明するガイドのハゼさん。日本には10日間滞在しただけだそうですが日本語がぺらぺらでした。
ツタンカーメン黄金のマスクはこの中にあり撮影禁止です。
隠れて撮って注意されているフランス人がたくさんいました。意外とフランス人ってマナーが悪いのね。下の写真はツタンカーメンの部屋の外にあったものです。ご安心ください😉
ツタンカーメン黄金の王座。背もたれのところにツタンカーメン夫妻の絵があるのだが・・・
ツタンカーメンの等身大の模型。服のサイズを測るのに用いたと思われている。今でもそのまま履けそうなサンダル。
ツタンカーメン・カノプス壺
ミイラを作る時に取り出したツタンカーメンの4つの臓器が納められ、向かい合う4人の女神が壺を守っています。
お風呂に入っているみたいで面白い😅
儀式用の椅子。めちゃくちゃ豪華。今でもこれを作るのは大変だと思う。

ツアーの最終日に博物館に来たので理解しやすかったように思います。初日に来ていたら遺跡の場所や様子がピンとこなかったと思う。
考古学博物館見学の後はお昼ご飯です。新しいお店で綺麗でした。
新しいお店でも出てくるお料理は一緒でもう飽きた~
美味しかったのは添乗員さんお勧めのコクテールというミックスジュース。初日からお勧めとお話してくれていたのにチャンスがなく最後の最後にやっと飲めました。本当に美味しかった😋 コクテールはマンゴー、バナナ、イチゴそれぞれが層になっているんです。季節で果物は変わるのでしょうね。エジプトは果物はどこでも美味しかった~ お料理が口に合わない時でも美味しい果物が必ずあるので救われます。
日本ODAで建設されたカイロ・オペラハウス
2021年4月にオープンしたエジプト国立文明博物館
空港に行く前にお買い物をした巨大なカルフール。レジが長蛇の列で大変でした。もうすぐ順番が回ってくると思っていたら後ろの若い女性がこのレジはメンバー専用レジと教えてくれました。めっちゃ焦ったけれどカイロでは英語が出来る女性たちに何度か助けられました。ありがとう。

カイロは綺麗な都会だと思ったら大間違い。こんな光景もありました。
乗車交渉をしている人たちもたくさん見かけました。
その前にいる全身黒づくめで眼だけを出した「ニカブ」をまとった女性。エジプトに来て初めて遭遇しました。ガイドのハゼさんは「眼以外を隠せとはコーランのどこにも書いてありません!」と言ってました。それどころかエジプトでは大学や公官庁ではあのニカブを着ることは禁止だそうです。エジプトは宗教は法的に自由ですと強く言ってました。
たまに見かけるニカブの女性はサウジアラビアから来た人がほとんだそうです。
乗り合いバスがたくさん走っていました。バスと言ってもボロボロのワゴン車です。
乗合自動車は決まった路線を、一定の乗客が集まった時点で出発するワゴン車です。
よくこんなに詰め込めるもんだと思うぐらいどのワゴン車もギューギュー詰め混んでいます。
カイロに自宅があるガイドのハゼさんもこの乗合自動車でホテルまで来たそうです。
これはカイロではなく王妃の谷へ行く時に撮ったものです。
アスワンハイダムのお陰で砂漠の緑地化も出来、ナイル川は1年中穏やかな川になりクルーズで観光を楽しめるようになったわけですが、現在、ナイルの支流はゴミだらけでした
古代エジプト人にとってナイル川は生命線であったのでナイル川を汚すと死刑に値したというのに今ではナイル川の汚染問題は深刻化しているそうです。

感動したエジプトでしたがショッキングな光景もたくさんありました。
2,000年以上前に外科手術を行っていた国が何故、スラム街だらけの国になってしまったのか・・・
カイロでは英語で話しかけてくる人たちがいるのに、田舎にいくと多くの子供が物乞いをしている・・・教育レベルの格差の大きさはショックでした。
こんなことを考えながら、19時半エミレーツでカイロからドバイ経由で帰国の途へ着きました。
10日間のエジプト旅行でしたが、不思議なほど疲れず元気に帰国しました。