チュニジア最終日はバルドー博物館を開館と同時に訪問し、昼食後には帰国の途に就きます。
1886年までチュニジアの首相、ケレディン・パシャが住んでいた。
1887年アラウイ博物館として公開され、1956年のフランスからの独立を機に名称をバルドー博物館とした。
2012年、再増改築された。
2015年3月18日に起きた銃乱射事件で日本人3人を含む22人の観光客などが死亡する事件が起こった。
左側は館内にある犠牲者のお名前と出身国を記した慰霊プレート、右側は外にあった亡くなられた方のお顔のモザイクの慰霊碑。昨夜の雨が日本人女性のところに溜まっているのをガイドのアデルさんが磨いてくれました。
2~3世紀、スースで発見。チュニジア最大のモザイク。
外から見ると博物館は現代的な建物ですが、中は地方総督ベイの宮殿をうまく活かしていました。
上の回廊には小さい陶器などのギャラリーになっていた。
首からぶら下げて自分で飲んでいたらしい、かわいい。
という訳で、ここでは私が印象に残った物だけを記しておくことにします。
2015年のテロ事件の銃弾の痕跡が生々しい
あんな固い扉にあんな大きな穴が開くなんて・・・恐ろしい。
宮殿だったので美しい装飾に目が奪われます。
世界最古のヴェルギリスの肖像。劇作家ヴェルギリス(ヴァーテル)に歴史を語りかけ「悲劇」の脚本が出来る。
3世紀、スースにあった。
紀元前1世紀頃にアテネ近郊ピラウス港からローマに向かう船がチュニジアのマハディア沖で難破し、後にその沈没した船から回収した美術品。輸出品だった。BC4~1の最高工芸品が山のようにあった。
これもマハディア沖の沈没船から引き揚げられたもの。
古代ローマ人の貴族はソファに寝そべって、お腹いっぱい食べた後、食べた物を吐く「吐き食べ」が行われていた。健康法と考えられていたという説もある。なんてアホなことを!
ケリビアの初期キリスト教徒の洗礼盤、ボン岬で発見。
この博物館の目玉(?)らしいが、私は上のオベリスクの方に古代の神秘を感じる。
バルドー博物館にあったポスト、チュニジアのポストは何処の物もボロボロ。あまりにボロボロで出すのが不安になったので絵葉書はホテルのフロントにお願いしたのです。
綺麗にしたら相当カッコイイポストだと思うのだけど✉
観光を終えランチのレストランに向かいました。チュニス湾に面する外港のラ・グレット(La Goulette)、貨物船だけではなく大型客船がたくさん来てました。
フォートデラグレット(Fort de la Goulette)(Karraka)
7世紀末よりアラブ人の港があり、16世紀にスペイン王カルロス1世が要塞を建造。オスマン帝国時代に城壁が築かれ、現在はその一部が残っている。
お昼を食べるためにチェニス湖を横切り港まで来ていました。
人参とツナのサラダ、シーフードのトマトソース煮込み(さざえが入ってた)、プリン、右上がタジン。タジンというとタジン鍋に入った煮込み料理のことだと思っていたら、それはモロッコ料理でした。
チュニジアのタジンはチーズとたくさんの具材が入ったオムレツのことでした~😲 三角帽のタジン鍋は使ってませ~ん。
最後の最後までお勉強になりました。
13時半、空港に到着。約2,000kmを一緒に旅してくれたガイドのアデルさんと運転手のダリさんとお別れです。新型コロナがチュニジアではまだゼロだったので感染国の日本人を乗せた後は家にしばらく帰るなと奥さんに言われる人もいるそうです。そんな中、景色の良い場所では止まってくれたり、肩を組んで写真を撮ってくれたりと嫌な顔をせず、楽しい旅をさせていただきました。有難うございました。
チュニス・カルタゴ国際空港のラウンジ、小さいけれどwifiがサクサク繋がり静かで居心地よかったです。
ターキッシュエアラインズでチュニス13:35発、約3時間。
イスタンブールから11時間半で無事に成田に帰ってきました。
帰ってきたら日本はコロナで大変なことになっていました。帰国して2ヵ月経ち、元気にしてます。ぎりぎりセーフで旅行に行くことが出来本当にluckyでした。
コロナ感染防止で自粛生活中なのでチュニジアの旅日記もゆっくり調べながら進めることが出来ました。
しかし・・・終わってしまった。
一日も早くコロナが収束しますように🙏
バルドー博物館(Musée national du Bardo)
17世紀にオスマントルコ帝国の地方総督ベイの宮殿として建てられた。アンダルシア風の宮殿。19世紀に改築。1886年までチュニジアの首相、ケレディン・パシャが住んでいた。
1887年アラウイ博物館として公開され、1956年のフランスからの独立を機に名称をバルドー博物館とした。
2012年、再増改築された。
2015年3月18日に起きた銃乱射事件で日本人3人を含む22人の観光客などが死亡する事件が起こった。
左側は館内にある犠牲者のお名前と出身国を記した慰霊プレート、右側は外にあった亡くなられた方のお顔のモザイクの慰霊碑。昨夜の雨が日本人女性のところに溜まっているのをガイドのアデルさんが磨いてくれました。
入口ホールの「ネプチューンの勝利」
もっと後ろから撮るべきだった😓2~3世紀、スースで発見。チュニジア最大のモザイク。
外から見ると博物館は現代的な建物ですが、中は地方総督ベイの宮殿をうまく活かしていました。
ノーベル賞、初めて見た!
2015年のノーベル平和賞を受賞したチュニジアの民主化に貢献した4団体のうちの一つ「チュニジア国民対話カルテット」のメダル。
キリスト教の洗礼水盤
6世紀ジェルバ島で発見、巨石を彫り抜いたもの。
カルタゴの間、ルネサンス式大ホール
ローマ彫刻は鼻が折られている。床のモザイクはワイン作りや狩猟と農村生活が描かれたモザイクがあった。上の回廊には小さい陶器などのギャラリーになっていた。
フェニキア人の陶器 幼児用の吸い飲み
ケルクアン考古学博物館にもたくさんあった。首からぶら下げて自分で飲んでいたらしい、かわいい。
ガラス製品、色がきれい✨
チュニジアに来てからたくさんのモザイクで既に満腹状態。それなのにこのバルドー博物館ではこれでもかこれでもかとすごいモザイクが登場する。という訳で、ここでは私が印象に残った物だけを記しておくことにします。
アンダルシ人風の4人の妃の部屋
床には七曜神と12星宮モザイクがある美しい部屋ですが、この部屋のエレベータには・・・2015年のテロ事件の銃弾の痕跡が生々しい
あんな固い扉にあんな大きな穴が開くなんて・・・恐ろしい。
ガラスケースのひびも銃弾の跡
ドゥッガの間、ドゥッガ遺跡で紹介したディオニソスとユリシーズのモザイクがある。
ポセイドン(ネプチューン)の勝利と四季
大きい! 私の身長の3倍以上はある。宮殿だったので美しい装飾に目が奪われます。
これはギンギラギン😲
私の部屋はこれがいいかなぁ🙄
宮殿の中庭
これもいい
これにしようかな🤔・・・妄想中
ヴェルギリスと2人のミューズ(音楽・舞踏・文芸などを司る女神)
3世紀、スースにあった。
紀元前1世紀頃にアテネ近郊ピラウス港からローマに向かう船がチュニジアのマハディア沖で難破し、後にその沈没した船から回収した美術品。輸出品だった。BC4~1の最高工芸品が山のようにあった。
これもマハディア沖の沈没船から引き揚げられたもの。
古代ローマ人の貴族はソファに寝そべって、お腹いっぱい食べた後、食べた物を吐く「吐き食べ」が行われていた。健康法と考えられていたという説もある。なんてアホなことを!
BC4世紀、犠牲を捧げた記念墓碑?
司祭が子供を運んでいるところが描かれているオベリスクがカルタゴで発見された。これによって生け贄の説が浮上したが、亡くなった子供を埋葬する様子なのか、未だに分かっていない。ケリビアの初期キリスト教徒の洗礼盤、ボン岬で発見。
この博物館の目玉(?)らしいが、私は上のオベリスクの方に古代の神秘を感じる。
バルドー博物館にあったポスト、チュニジアのポストは何処の物もボロボロ。あまりにボロボロで出すのが不安になったので絵葉書はホテルのフロントにお願いしたのです。
綺麗にしたら相当カッコイイポストだと思うのだけど✉
7世紀末よりアラブ人の港があり、16世紀にスペイン王カルロス1世が要塞を建造。オスマン帝国時代に城壁が築かれ、現在はその一部が残っている。
お昼を食べるためにチェニス湖を横切り港まで来ていました。
Restaurant La Victoire (Razgalla)
予定ではお昼は無しだったのですがレストランに連れて行ってくれました\(^o^)/人参とツナのサラダ、シーフードのトマトソース煮込み(さざえが入ってた)、プリン、右上がタジン。タジンというとタジン鍋に入った煮込み料理のことだと思っていたら、それはモロッコ料理でした。
チュニジアのタジンはチーズとたくさんの具材が入ったオムレツのことでした~😲 三角帽のタジン鍋は使ってませ~ん。
最後の最後までお勉強になりました。
13時半、空港に到着。約2,000kmを一緒に旅してくれたガイドのアデルさんと運転手のダリさんとお別れです。新型コロナがチュニジアではまだゼロだったので感染国の日本人を乗せた後は家にしばらく帰るなと奥さんに言われる人もいるそうです。そんな中、景色の良い場所では止まってくれたり、肩を組んで写真を撮ってくれたりと嫌な顔をせず、楽しい旅をさせていただきました。有難うございました。
チュニス・カルタゴ国際空港のラウンジ、小さいけれどwifiがサクサク繋がり静かで居心地よかったです。
ターキッシュエアラインズでチュニス13:35発、約3時間。
イスタンブールから11時間半で無事に成田に帰ってきました。
帰ってきたら日本はコロナで大変なことになっていました。帰国して2ヵ月経ち、元気にしてます。ぎりぎりセーフで旅行に行くことが出来本当にluckyでした。
コロナ感染防止で自粛生活中なのでチュニジアの旅日記もゆっくり調べながら進めることが出来ました。
しかし・・・終わってしまった。
一日も早くコロナが収束しますように🙏
4 件のコメント:
ユメミーさん
いつも通りの素晴らしい旅日記でした
政治・文化・歴史・民俗学的にあらゆる角度からの旅の記録でした
調査・取材・整理・記録と大変でしたでしょうが 奥行き有る旅日記でした
お疲れさまでした
ローカルガイドに恵まれてかなり専門的な分野まで・・・
旅の演出力も持ち合わせてて・・・・
良い旅でしたでしょう
ギリギリコロナ騒ぎも交わして ご苦労様でした
まずは無事なお帰りでよかったです
☆栄ちゃん
長々とお付き合い有難うございます。
添乗員さんの説明とくださった旅のメモがとても役立ちました。
しかし難しかったです。
説明を聴いたものをカタカナでメモしても
それがフランス語、英語、アラビア語、ラテン語まであって見つけるのに時間がかかりました。
ここには検索で出てきた地名や名称を書きました。
自粛生活があってこそ出来たのかもしれません。
こんにちは
ドキュメントを読んでいるようなそんな感覚にさせてもらいました。
フェニキア人の陶器 幼児用の吸い飲みはなんかひょっとこを思わせてくれますね。(笑)
テロ事件の銃弾はすごいですね。
あんな分厚いドアを貫通するなんて痕跡が本当に生々しいですね。
ガラスケースのヒビ。エレベータよりもガラスケースの方が丈夫?
宮殿の装飾がすばらしいですね。
天井の絵も素敵です!豪華ですね!
チュニジアのオムレツは美味しそうです!
何はともあれ、足止めされることもなく無事に帰国出来て良かったです。
次回は、どこに行かれるのでしょうか。。
私が海外解禁(医者の許可がおりて)になるころには、普通に行けるといいなぁ~!
来週にはなんとか自粛生活も終わりそうですね。
お互い、緩むことなくコロナに罹らないよう頑張りましょうね。
☆brosaさん
有難うございます。
>フェニキア人の陶器 幼児用の吸い飲みはなんかひょっとこを思わせてくれますね
親近感を感じて可愛いでしょ。
>エレベータよりもガラスケースの方が丈夫?
中の物を守るために車のフロントガラスのような飛び散らないガラスをつかっているのでしょう。
本当に無事に帰国出来て良かったです。
出発する時にはこんな状況を想像もしてませんでした。
しばらくは海外旅行は無理だと思うので
先ずは家事から解放されて温泉へ女子旅をしたい!
自粛生活が終わってもウィルスはいるので油断大敵ですね。
コメントを投稿