ドイツ その6 ついに来た~~ノイシュヴァンシュタイン城

2016年10月5日水曜日

ドイツ

レーゲンスブルクを朝8時に出発、240km、4時間のバス移動。ノイシュヴァンシュタイン城のあるホーエンシュヴァンガウに到着。
途中、どしゃぶりの雨に会いましたが近づくにつれ晴れてきました。やっぱり私は晴れ女だ(^^)v 到着すると直ぐにお昼ご飯、ドイツ1,2の観光地、お店の人に追い立てられるように食べさされた(~_~;)
お城までは緑の線のシャトルバス、帰りは赤い線を歩いてチケットセンターのところに出てきました。
シャトルバスは急な坂道をくねくねと登って行きます。 バスの運転手さんがワイパーに珈琲がいっぱい入った紙コップを置いて一滴もこぼさず無事到着! みんなで拍手喝采(*^▽^*) 運転手さん、嬉しそう。
まずはお城の手前のマリエン橋からホーエンシュヴァンガウの町を見渡します。 ホントに気持ちの良い絶景です。晴れて良かった~
左がアルプ湖、黄色いお城がノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世が幼少時代を過ごしたホーエンシュヴァンガウ城。黄色いお城の下からシャトルバスに乗りました。
この橋からノイシュヴァンシュタイン城の全景がみられるので定番の写真ポイント。
マリエン橋をお城から見たら、こんなすごい所に掛かってました。 観光用に作られた橋なのかと思っていたらノイシュヴァンシュタイン城より古くルートヴィヒ2世の父マクシミリアン2世によって、1845年にペッラート渓流に木製の橋が渡された。マリエン橋(マリーの橋)という名前はルートヴィヒ二世の母マリーから付けられたそうです。ノイシュヴァンシュタイン城が建設が開始される3年前1866年にマリエン橋はルートヴィヒ2世によって、現在のような鉄橋に架けら替えられた。母親マリーへの誕生日プレゼントだったというからすごい!
お城に到着、青空が眩しいです。
たくさんの人が入場待ちです。
入場券の裏に入場番号と時間、音声ガイドの使用言語が印刷されています。日本語もあります! お城の中は撮影禁止、でも、お城から外の眺めが一番良かったです。
順番待ちの間にもらったパンフレット、バイエルン王ルートヴィヒ2世はイケメンだったようです。お城と言えばディズニーランドの影響かこのノイシュヴァンシュタイン城が浮かぶのに世界遺産ではないのです。お城の歴史を調べてみました。ルートヴィヒ2世は王になって2年後に統治権を失ったため、伝説とメルヘンによる自分だけの世界を創り出し美しい芸術に没頭していったのです。バイエルンの経済が破綻寸前の状態にあったにもかかわらずお城を三つ建設、さらに次々とお城を建設しようとした。
財政をも揺るがす巨額の費用をつぎ込む狂気の沙汰を危惧したバイエルン首相らが、グッテンら4人の医師に王を精神病と認定させ、1886年6月12日に彼を逮捕し廃位した。
ルートヴィヒはベルク城に送られ、翌日の6月13日にシュタルンベルク湖で、医師のグッデンと共に水死体となって発見された。
ノイシュヴァンシュタイン城は19世紀、もう明治維新が起きてる時代に個人的な趣味のため時代に逆行し作ったものなので世界遺産にはなれないのです。世界遺産になるにはいろいろな条件があってその一つ、建築技術、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与える・・・完全にアウト!
ルートヴィヒ2世が建てた三つのお城はほぼ同時進行。
ノイシュヴァンシュタイン城は1869年9月5日に建設が開始された。
リンダーホーフ城は1874年に建築が開始され、1878年に完成した。
ヘレンキームゼー城1878年から1886年にルートヴィヒ2世が死ぬと建設が中止された。この二つのお城をパンフレットで見てみると・・・
リンダーホーフ城
ヘレンキームゼー城
どれもキンピカピカ、しかもまだまだお城の計画があったというから殺されても仕方ないかも・・・
何はともあれ美しいお城です。今では年間150万人が訪れるドイツのドル箱観光スポットになっているのです。天国でルートヴィヒ2世は先行投資は無駄ではなかったとほくそ笑んでいるのでしょうか。
帰りは歩きました。馬車は列が出来ていて乗れませんでしたが帰りは下り坂なので楽でした。長年憧れていたお城、お天気にも恵まれ最高のノイシュヴァンシュタイン城でした。