トルコ旅日記 4 都市遺跡、エフェソス

2009年9月10日木曜日

トルコ


エーゲ海のほとりのアイワルクを朝の8:00に出発し、途中、ツアーお決まりのトルコ石のお店により、昼食後やっとエフェス遺跡へ到着しました。
エフェスは紀元前11世紀頃から建設が始まった古代都市です。
どこからでも入れそうな山奥の大きな都市遺跡でも入場券を自動改札の機械を通して入りました。
入ったらすぐに目に入るのがここオディオン、約1,400人収容出来た小劇場、当時は屋根があったそうです。 政治的な会議にも使われていたそうです。

トイレです。 皆ここに座って記念撮影をします。
もちろん私も撮りました。 中に水が流れていて水洗トイレで、前の溝にも水が流れていて、お尻を洗ったとか! 世界初のウォシュレット!? 
しかもおしゃべりをしながら用を足したって、一体どんなうんちくを語ったの~(*_*;








ハドリアヌス神殿 、2世紀前期、ハドリアヌス帝に捧げられた神殿。アーチ中央の胸像は運命の女神、市の守護神であるティケ、その奥は悪魔払いのメデゥーサ、壁の周りは神々や皇帝のレリーフがきれいに残っていました。



勝利の女神にけ(NIKE)、ナイキの名前の由来と言われています。

手に持っているのはオリーブの葉の冠です。



クレスト通り
私たちはトルコの竹下通りと呼んでました。
とにかくすごい人です。はぐれないようにするだけで精いっぱいで落ち着いて見てられません。
イズミールに着いた客船からの観光客がどっと来るのです。豪華客船に一隻3,000人乗っていたとして、その規模の船が何隻もイズミールに入ったら、それだけでもすごい人なのにバスで周っている観光客もたくさんいるのでたいへんです。



道の両側には有名な議員や医者の像が並んでいたそうですが、任期を終えると頭を現職者のものに交換したそうです。
合理的ですね。



歩道は綺麗なモザイク、真ん中は車道にあたるのか滑り止めが入っていた。
現代と同じなのには驚かされました。



出発前にNHKスペシャルでやっていたクレオパトラの妹の墓はたぶんこの辺です。後ろは大きく覆われまだまだ調査中のようです。エジプトから遠くはなれたエフェソスに幽閉したあげく、殺してしまうとは恐ろしい姉! 我が家は権力の無い平民で良かった。
セルスス図書館
12万冊の蔵書があった図書館です。 ゆっくり見たかったのに、ちょうど私たちがここに来た時、救急車が来ました。 何事かと思ったら、別のツアーの日本人が倒れたそうです。 熱中症のようでした。
遺跡の中をどうやって入ってきたのか不思議でしたが、図書館の前まで救急車は入ってきました。

24,000人収容の大劇場です。
音響効果は抜群で今でもコンサートが行われているそうです。
パバロッティやエルトンジョンもコンサートを行ったとか。
その昔、パウロもここでキリスト教の伝道をしたと言われているそうです。
ヨハネによる福音書もエフェソスで書かれたという説もあるという。
聖書のなかの遠い昔の地に足を着けているとは何んとも不思議!
この大きな道、アルカディアーネ通りは、クレオパトラとアントニオが連れ立って歩いたといわれています。


ローマ帝国の支配下、紀元前130年ごろは10万人が暮らしていたりっぱな都市もご覧の通り。

栄枯盛衰とはこのことか・・・

エフェソスで見損ねたものが二つ。
古代世界の七不思議のひとつと言われているアルテミス神殿跡とマリア様の終の棲家。

アルテミス神殿跡は焼け落ちて127本の柱のうち1本しか残ってないそうなので、まぁいいかと思うのですが、聖母マリアがイエスの死後、迫害を逃れイスラエルからエフェソスの山の奥で使徒ヨハネの世話を受けながら暮らしたといわれている家のほうには行ってみたかった。 かなり山の中に入って行くらしく忙しく駆け回るツアーでは省かれてしまった。本当に残念。 この家の下には万病に効くとされている聖水が湧いているそうです。


遺跡を巡り、バスに戻ると外気の温度計が40℃になってました。
熱中症になるはずだわ。
晴れ渡ったエフェソスだったが、アルテミス神殿は精神病の男に放火されるし、クレオパトラの妹は殺されるし、マリア様は身を潜めなければならなかったし、今思えば物悲しい町だこと・・・